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翼をくださいっていう

こんばんは、圭です。

「圭さんは、好きなものと嫌いなものの落差が激しいよね」


と、あきらさんに言われました。


まったく、そのとおりだな。さすが、あきらさんだな。

さらに言うならば、好きなものが少なくて、その少なきものを執拗に偏愛するのがわたくしという生き物であります。

そして、これは特に音楽に関して顕著だなあ、とおもうんだ。
誰かから「このひといいよ」「この曲いいよ」と教えてもらって、気に入ったら、そればっかり。


最近、あきらさんに紹介された曲が、いいなあ、とおもっています。

歌詞が。



ゲスの極み乙女「私以外私じゃないの」



題の「私以外私じゃない」というのは、まさに。まさに。
心底そうおもっているんだよ、というわたしの基幹。の一部です。

そう、そうなんだよ。
これ同意だわ。しっくりくるわ。

もちょっと正確を期すなら、わたしにとって、「わたし以外は全員他人」なんだよね。

この「他人」て言葉が曲者で、ここに勝手に冷たさを見出すひとってのがいるんだよね。

それはそれでそのひとの感性だから別にかまわないのだけれど、
例えばわたしにとって母親は「わたしではないので他人」なのを、
母親は「そんな寂しいこと言わないでよお、親子でしょ?」とかなんとか返してくるわけで、
どうにも噛み合わなかったりするんだよね。


滔々と話していると、あきらさんが訊きました。



あ「圭さんにとって、あたしは他人?」



もちろん。わたしではないので、「他人」です。

でも、そこにいろんなタグがついているの。
「こいびと」だし、「家族」だし、ほんとうに特別な、たいせつな、他人。

「他人」と言われることは、あきらさんにとっては、苦痛でしょうか。
寂しさをおぼえたり、するのでしょうか。

あきらさんは、わたしを、「何」だと呼びますか。



あ「圭さんは、あたしの比翼の鳥だよ」



うっひょー。

見たか、聞いたか、7年以上つきあってきて重みを増した、なんという殺し文句。

「天にあっては比翼の鳥とならん、地にあっては連理の枝とならん」ってね。
ああ、だがしかし、これでは悲恋になってしまうか。いやまあそれはどうでもよい。

するとあきらさん、しばし考えて、
「比翼の鳥ではあるが、連理の枝ではない」と言うではありませんか。
なぜ、どうして、その心は。



あ「圭さんがいなくても生きていけるよ。でも、圭さんがいないと飛べない」









おい、聞いたか? これ、三次元なんだぜ。
ごちそうさま! ごちそうさま!


ここしばらく「ていねいに生きる」ことができずにいるわたしに
彼女の目はやさしい。

だいじょうぶ、だいじょうぶ、ちゃあんとまた、飛ぶからね。


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