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セクマイ街頭アクション 傍聴

こんばんは、圭です。
前の記事で予告したとおり、今日の夕方新宿駅に行ってきました。
ティシュ配りのおにーさんおねーさんが山といる東南口広場、レインボーな旗が控えめに振られています。
キャッチフレーズは「多様な性にYes!」、さあさどんなメッセージが読み上げられるのか?

行ったり来たりする通行人になろう!という当初の計画は捨て、近くに突っ立ってじっくり話耳をかたむけてみます。





※以下、圭個人の感想。やや否定的なことが書いてあります。
あくまで一個人の感想であること、活動そのものの否定ではないことをご了解の上で先へおすすみくださいな。

さてじっくりメッセージを聞いてみて思ったこと。


あーNHK的だなー


どういうことかと言うとですね。

同性愛者は苦労してるんだ!
ほんとうはのろけたいのに、できないでいるんだ!
みんな(←異性愛者を指す?)と同じように生きてるんだ!
知ってください解ってくださいお願いお願いお願い……


まじめなんだけど、なんとなく暗いんだよなー。

真のあることばなのはわかるの。
だけどね、そのメッセージが発する必死さ・まじめさは、別のものにすり変わって伝わってしまうと思うの。
つまりね、社会・あるいは異性愛者のもつセクマイに対するイメージと、当事者の生の声がほぼ一致して聞こえちまうの。

苦労してそー 大変そー 生きづらそー。
セクマイは、「理解してと頼む」立場。異性愛者は、「理解してさしあげる」立場。
ああほら、セクマイってさ、こうしてメガホン持って、不特定多数に無視されながら、声張り上げなきゃいけないひとたちなんだ…。

なんとなく、そういう構図。

でも違うでしょ。そうじゃないでしょ。
そういう目をこそ嫌って活動をしているんじゃないのかい!?

寄せられる声は、こういうものが多いってことなのかしら。それとも、こういう声を敢えて選んで読み上げているのかしら。わかりませぬ。


ここから先は活動の目的に関わってきてしまうので、わたしの勘違いがあったら関係者の皆さんごめんなさい。
でも。
立ち止まるひとがほとんどなくとも街頭アクションを起こすということは、より多くのひとに興味をもってもらいたい・せめて知ってもらいたい・意識してもらいたい。
そう思ってのことですよね、たぶん。

だったら。
「多数派」の異性愛者を加害者にしてても通じにくいんでないかしら?
「解ってほしい」と訴えることは、「解ってない」と糾弾することでもあるわけで。

そして。
「解ってほしい」と訴えるなら、「解るってどういうこと?」という部分がある程度はっきりするようなメッセージを織り込む必要があるんでないかしら?

さらに。
「存在しているんです」という主張は、現代社会においては「頭では知ってるよ。だから?」とスルーされる情報かもしれないよね…。



まあそんなことを思いましたとですよ。
ごちゃごちゃしました。すみません。ここらでまとめよう。

要は
とっぱらえ頭でっかち!!


同性愛者で良かったことは? と訊かれたら、
「マジョリティだったなら気づけなかったような差別に問題意識をもつことができたこと」 なんて答えないわ。
「とってもすてきな彼女とこいびと同士になれたこと」
これでじゅうぶん。

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